あれから36年
坂田 勝巳(S62年卒)
小生が三重大学を卒業し,横浜市立大学病院(浦舟)で研修を始めたのが昭和62年6月である.最初に3ヶ月放射線科をローテートし,初めて脳神経外科の研修をしたのが9月のことである.脳神経外科の研修を選んだ理由は,学生時代のBSTで当時の和賀教授にこってり搾られ,勉強させられたためである.当時の大学では桑原教授や藤津助教授が手術をされており,藤津助教授が世界に先駆けZygomatic approachの論文をJNSに発表された直後で,頭蓋底外科創成期の熱量を感じた.当初は消化器外科医を目指していたが,脳神経外科に魅せられ生涯の生業になるとは夢にも思わなかったが,これも運命かもしれない.平成4年に山本勇夫教授が赴任され,教室の皆様の支援のおかげで,米国アーカンソー,リトルロックのアーカンソー州立大学 (UAMS) に留学をすることができた.アルメフティー先生の下で頭蓋底外科を学び,ヤシャギル先生のお手伝いをしながら,血管障害や脳実質の手術,ニューロサイエンスなどの哲学を学ぶ機会を得た.この経験はかけがえのない人生の宝となった.その後山本勇夫教授のお力添えをいただき,微小解剖セミナーの会長を仰せつかり,平成19年に東北大学冨永会長のコングレスの際に仙台で開催させていただいた (Fig.1).その後,平成20年に川原教授が赴任された.川原教授は学会でも会う機会が多く,インドのコーチンで開催されたインド頭蓋底外科学会に一緒に招かれて行ったのもいい思い出である.川原教授のお力添えをいただき,JNEFの会長を仰せつかり,平成25年に横浜で開催させていただいた (Fig.2).川原教授が “絶対に横浜で総会をやる” と何度も熱く語られていた姿が今でも思いだされ,道半ばで早逝されたのは悔しいとしか言いようがない.その後平成29年に山本哲哉教授が赴任された.教室をNPO化して,新たな時代の荒波を乗り越えられるように,教室を進化させていただいている.これからの横浜市立大学脳神経外科学教室を背負う若者が育つことを願ってやまない.残り少ない時間は若者たちが育つお手伝いに力を注ぐ所存である.ここまで来させていただいた教室には感謝の言葉しかない.あれから36年.長い時間が経った.