横浜市立大学脳神経外科 50周年記念によせて

大矢 裕之(H1年卒)

横浜市立大学脳神経外科学教室の皆様,またOB・OGの皆様,50周年という大変な節目を,著しい発展の中で迎えられましたことを,心よりお祝い申し上げます.今後の教室の発展をお祈りいたします.

若い時の経験は重要.忙しいほうがいいかも.

さて,50周年記念に寄せてということですが,これまでの経験で思い出すことなどを書いて,若い脳外科医先生の少しでも参考になればと思います.私は,鳥取大学を卒業したあと,1992年に横浜市立大学にて研修を終え,脳神経外科に入局しお世話になりました.鳥取の田舎に飽きたのと,その時期には珍しいローテート形式であったのに惹かれてのことでしたが,その時期に始めた西新井病院での週末の当直を含め,この初期の経験は非常に貴重なものでした.金一宇先生(副院長と呼ばれていました),権藤先生には特にお世話になり,何故か1対1で教えていただいたベッドサイドでの気管切開(どちらもあっというまに終わりました)がとても印象に残っています.医者1年目ながら,脳外科を目指して行く気持ちを強く持ちました.当時の西新井病院の当直は忙しいとともにあらゆる疾患の患者が来て,最高の研修になったと思っています.ご存知のように,アメリカの脳外科医は,まず脳外科手術のみで他の手技はほとんどゼロです.患者管理に関しても専門の人が呼ばれますので,特に早期のレジデントの手技経験としては,日本のほうが広いかもしれません.すべての治療行為,機械に値段が付きますので,クレージーな医療費となります.手術だけに限っても,胸椎腰椎減圧固定術では,一回のオペで病院が請求する額が,7-10万ドルを超えることもあります.

入局後は福浦の大学病院で半年,そして浦舟の救命センター,旧附属病院にて半年間更に研修させていただきました.私の入局と同時期に,山本勇夫先生が,桑原元教授の後任とし赴任されてきました.この際には,藤津先生,藤井先生,持松先生,鈴木先生にお世話になりました.その後は,西新井病院,小田原市立病院,神奈川県立こども医療センター,そして横須賀共済病院とスタッフとしてローテートしました.安部先生,菅野先生,関戸先生,市川先生,中島先生,そして田中直樹先生にお世話になりました.中でも金先生のタバコの煙に囲まれての早く済ませるアンギオ(多い時は2時間で6件),医局での安部先生,金先生とのオペのレビュー,私のクリッピング中の田中先生のやじや,後ろの方でのトンカチでの雑音生成による集中力テスト(?),手術中に耳元で囁いてくれた「静かなる気合」の名言など,いまだに覚えているいい経験です.

研修医,初期脳外科医の先生.若い時期 = 医師1-5年目は特に大切で,忙しいほうがいいかもれません.とにかく色々な経験をしてください.

研究経験の欠如

これは,私自身のことです.脳外科も中堅になってくると,それなりに自分のセオリーができ,頭が固くなってきていたと思います.臨床での日々の仕事が忙しかったこともあり(言い訳ですが),菅野先生など世界的な研究をされている先生が身近に居たのですが, 研究経験がほとんどありませんでした.これは脳外科専門医を取得した後,痛切に感じたことです.何か研究をやりたいと思うことはありましたが,今から思えば,怠惰であったのでしょう.今から思うと,アメリカに行くという決断をしたのは,この時期でした.アメリカにいると,日本で脳外科でありながら,研究を続けることの大変さをとても感じます.日本でコンスタントに研究成果をだしておられる先生方は本当に大変だと思います.教授であった山本先生や,アイオワ大学のチェアーマンである,ハワード先生から教えてもらったことですが,基礎,臨床を問わず,アカデミックな脳外科医は研究が必須である,ということです.これは,多忙な臨床脳外科には,非常に厳しい要求と言えるでしょう.アイオワで最初に食らった打撃は,私など研究の面から全くの素人である,という現実だったと思います.また,アイオワ大学脳外科の研究に重きを置く姿勢にも,内心驚きました.

渡米と研究開始

さて,全く何もわからぬまま癲癇,脳波の研究をしたいと思い,山本先生に相談したところ,快く心当たりを探してくださり,アイオワ大学神経内科の,山田透先生のもとで指導を受けることとなり,2000年に渡米しました.これは,間違いなく私の人生を変えたと言えるでしょう.山本勇夫先生には,感謝しかありません.私は,全くアイオワなど頭になく,癲癇治療で有名な大学にメールを出したりしていました.この時,私には2人の小さい子供もいましたが,不思議と渡米の不安はなかったように思います.山本先生,山田先生,ハワード先生との出会いは,全く偶然なのですが今から思えば,非常に重要でした.人生は必ずしも自分の思うように行くものではなく,全く偶然で進んで行くものです.研修医,初期脳外科医の先生,チャンスはどこにでも落ちている可能性はあります.脳外科医なんだから,匠の世界で人の目をみはらせるような治療をしなくてはだめなんだ,などと縛りつけず,視野を広く持って日々を送ってください.

渡米してからの,最初の2-3年間は,脳内電極から取った電気生理学的データについて,がむしゃらに勉強しました.運良く,Journal of Neuroscinceにペーパーを出すことができ,首をつなげることができ,さらに,PNAS,Journal of Neurophysiology, Cerebral Cortex, Scientific data, Neuroscience methods, NeuroImage, Neuron, Nature Methods, Nature Communications などにペーパーを出すことができました.すべて,脳内電極を利用した,電気生理,functional-MRIを用いたものです.短期,長期を問わず,見学,研究をしてみたい方は,声をかけて下さい.

留学ということ

研修医,初期脳外科医の先生へ.研究に関しても,最初の数年間の経験と努力は大切です,,,がもっと大切なことは,どのような環境に自分を置くか,ということかもしれません.この点で,海外に拠点を移すということはある面で,有用かもしれません.金もありませんでしたが,この時期は楽しかったように思います.留学時期はいつがいいのか?に関しては,人それぞれと思いますが,遅すぎない方がよいとはいえると思います.アイオワ大学にも(USMLEを取って)パーマネントジョブとして,臨床で来ている先生もいますので,脳外科に限らず,アドバイスをもらいたい人は,ご連絡ください.最近のニュースなどを見ていると,日本の没落を示唆するニュースが多くなっているように思います.最初は言葉も分からず,冗談も理解できず,お客さんとして扱われ,つまらぬ仕事をやらせられる,,などストレスもあると思いますが,日本人で,若ければ大丈夫です.医療に関してですが,もはや医療技術,機械に関して大きな差はないと言えるでしょう.ただアメリカでは,システム上,一人の脳外科医の手術件数が非常に多くなる傾向にあります.私は,一般脳外科で,脊髄脊椎の手術が多いのですが,2000件以上はあると思います(正確に数えてはいません).すべての症例をまとめて,オペ件数は,月に15-35件ぐらいです.

日本はもはや,安い国となり,日本製の家電を見ることはもうアメリカではないといって良いでしょう.車はまだトヨタ,ホンダが頑張っていますが,韓国製やテスラに追い詰められているようです.三菱スペースジェットも失敗に終わりました.技術面でも,本当にとんがった先端のものは,欧米発祥が多いようです.彼らは,理屈に強く,ストラテジーに優れます.小さい事にこだわらず,大きくものを考えます.X-spaceに代表されるように,失敗を失敗と言いません.いつも前向きの姿勢です.しかし,重ねて感じたことですが,そのような欧米人でも,日本人には特別の好意あるいは尊敬を持っているように感じます.これは,驚くべき事で,日本人であることをいつも幸運に思っていますし,日本の素晴らしい点を再認識することがあります.日本を一時離れ,休暇がてらでもいいと思います,外から日本を見るということが先生方に,またひいては日本に,外国を模範として真似すると言う態度を越えて,後々有益な影響を与えることを望んでいます.

臨床

さて,渡米して5年後ぐらいから,徐々に臨床に関わるようになってきました.最初のうちはVeteran’s administration hospitalでしたが,今は主にメインホスピタルで臨床を行っています.現在では,月5-6日のオンコール,週1日半の外来,に定期,緊急手術となっています.COVIDの時期に,オペ室看護師が足りなくなり,脳外科のスタッフも複数抜けたりして,最近の1-2年は忙しい状態です.脳外科全体で,オペ件数は年に約3000程だと思います.本年度には,新しい脳外科医も入ってくる予定で,少し楽になり研究時間が取れるといいと思っています.こちらの,医療システムは,とにかく全て金で換算され高額です.その費用を抑制するためか,医療保険会社が介入してきます(手術費用のカバーのリジェクトなど). 研修医,初期脳外科医の先生へですが,日本の医療はもはや最高レベルです.これも私のできていないことなのですが,いずれは臨床で渡欧するのであれば,スタッフとして日本の技術を欧米に伝えるという気持ちのほうがいいでしょう.臨床の見学であれば,数ヶ月で十分と思います.反対に,研究目的であれば2年は必須です.

結び

このように書いてきましたが,これまで実にいろいろな横浜市立大学脳外科の先生方に,お世話になった事を思い出し,感謝の気持ちで一杯です.重ねて,山本勇夫先生にはお礼申し上げます.ありがとうございました.先生は帰国した折になど,いつも「もうちょっと頑張ってこい」と励ましてくれました.「あーきついな」と思ったりしたこともありました.また,失礼ながら,お名前を挙げられなかった先輩先生方にも重ねてお礼申し上げます.今後も,山本哲哉教授を先頭として,教室全体として,脳外科をリードしていかれることと思います.各先生方のご健康とますますのご活躍をお祈りいたします.

研修医,初期脳外科医の先生へですが,若い先生方は日本の未来です.ぜひ世界を視野にいれ,臨床と研究の両方を続けて下さい.

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