“福浦,浦舟,大阪,小田原,Zurich,鴨川そして世界へ”

田中 美千裕(H3年卒)

脳神経外科教室設立50周年,おめでとうございます.半世紀にわたり,神奈川県の地域医療に貢献し,多くの優れた医師を輩出してきたこの名門教室の一員であることを誇りに思います.私と教室の縁は1991年に始まりました.その当時,初期研修でスーパーローテートできた大学は横浜市大だけであり,山本勇夫先生が教授に就任されて間もない頃,私は脳神経外科で半年間研修させて頂きました. 当時,私は解剖学に強い興味を持っていましたが,どの診療科に進むべきか悩んでいました.そんなとき,山本勇夫先生が 「田中君,脳神経外科では毎日生きた解剖学を学べるよ」と言ってくれたことが,私が脳神経外科に進むきっかけとなりました.入局2年目には,国立循環器病センター脳血管外科で橋本信夫先生の指導のもと,修行する機会を得ました.私の学年は横市の脳神経外科への入局者は当時2人しかおらず,大学人事の厳しい状況下に国内留学を許してくださった先輩の先生方には今も感謝の念を抱いています.また国立循環器病センターでの経験がなければ,私は脳血管内治療の分野に進むこともなかったかもしれません.センターでのレジデントを終えた後,小田原市立病院に赴任し,中島麓先生にご指導頂き,開頭クリッピング術やCEAなどを術者として経験し,当時まだあまり発展していなかった脳血管内手術による動脈瘤やAVMの塞栓術も術者として経験させて頂きました.

1998年には,渡欧の機会を得て,スイス・チューリッヒ大学神経放射線科 Prof. Anton Valavanisのもとで臨床フェローとして学び,翌年からはスイスフランで給与をもらいながら常勤スタッフとして勤務する機会を得ました.当初1年で帰国して教室に戻るところでしたが,山本勇夫先生から「せっかくZurich大学で助手として採用されたのだから,その世界を極めるまで頑張りなさい」という一言で,スイスに骨を埋めるつもりで働きました.その後2002年にはOberarzt(准教授)およびLeitender Arzt(脳血管内治療部主任)の役職を得て,2004年までの6年間,Zurich大学のスタッフとして手術,病棟管理,大学での講義などに携わる貴重な機会を得ました.その後,亀田総合病院で脳血管内治療を立ち上げる機会を得て,2015年には世界脳神経血管内治療連盟 WFITN (World Federation of Interventional and Therapeutic Neuroradiology) の理事として,現在はWFITN会長として,脳血管内手術の未来について世界のエキスパートたちと議論する機会を持つことができています.これらの経験を得られたのは,山本勇夫先生,橋本信夫先生,Anton Valavanis先生のおかげであり,素晴らしい恩師に出会えたのも 30年前に横浜市立大学脳神経外科教室に加えて頂いたからだと思います.今後,教室が益々発展し海外で活躍する次世代の教室員が増えることを楽しみにしております.

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