医局ゴルフの思い出

菅野 洋(S58年卒)

横浜市大脳神経外科教室に入局した40年前から,年2回の桑原杯に参加した.それまで,父にたまに連れていってもらう以外はほとんどゴルフコースを回った経験はなく,年2回の桑原杯は大変楽しみで前日からワクワクしていた.桑原杯には,大学以外の関連病院の先生方も多数参加するので,桑原杯を通じて知り合いになる先生も少なくなかった.その当時,ゴルフの上手な先生は,前医局長の坪根亨治先生を筆頭に,篠永正道先生,関野典美先生,小田正治先生がいて,飛距離では山下俊紀先生が群を抜いていた.私も当時はドライバーが当たれば250ヤードくらい飛ぶものの,スコアは100を切ることはほとんどなく,アプローチはうまくなかったが,参加して5回目くらいの桑原杯で優勝した.桑原杯はほとんど小田急藤沢ゴルフクラブで行われ,桑原教授が退官後も桑原クラシックとして続き,山本勇夫教授が2代目の横浜市大脳神経外科教授になってからは山本杯も箱根カントリー倶楽部などで別に行われた.この写真は,その時のものである.この写真に写っている久保篤彦先生と中山敏先生ともドライバーの飛距離は圧倒的で,特に久保先生はドライバーが当たれば300ヤードを超すこともあった.

左から坂田勝巳先生,筆者,山本勇夫教授,中山敏先生,医局秘書 坂本知子さん,後列 久保篤彦先生,整形外科 前田和彦先生

UCSDに留学中は大学の隣にある名門のトーリーパインズゴルフコースを低額な料金で利用でき,他の日本人の先生と夕方からよく回った.山本杯と桑原クラシックは併行して続いたが,山本杯は山本勇夫教授が退官後,自然消滅した.川原信隆教授が就任後は,桑原クラシックのみ開催され,川原教授も時々参加した.川原教授は体格と抜群の運動神経を生かしたドライバーの飛距離は素晴らしく,久保先生に迫るものがあった.桑原武夫教授は,このころになるとご高齢のためあまり参加されなくなり,若手の先生も少なくなって参加人数が減っていったが,藤津和彦先生,久間祥多先生はほぼ毎回参加した.山本哲哉教授が就任後は,桑原クラシックは桑原記念山本カップと名称が変更されたが,コロナ禍で開催回数が制限された.山本哲哉教授は,スウィングがきれいでドライバーの飛距離も素晴らしいので,将来性を感じさせる.村田英俊先生が聖マリアンナ医科大学教授に就任した後には,横浜市大だけでなく,聖マリアンナ医大の先生方も加わり,桑原記念山本カップがだいぶ参加人数が増加した.桑原記念山本カップが医局内外の交流の場として,今後も発展することを期待したい.

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