横浜市立大学脳神経外科学講座50周年記念に寄せて

藤津 和彦(S44年卒)

私がお話しする当教室の想い出といえば,やはり私の恩師で初代脳神経外科教授の故−桑原武夫先生から始めなければなりません.今まで色々な所でお話しし,文章にもなっている内容と多分に重複することをお許しください.先生は鹿児島生まれで旧制一高−飛び級−東大医学部進学の秀才中の秀才です.失礼ながら,先生の茫洋とした風貌と振る舞いからはとても想像できないことでした.昭和50年代初めのことだと思いますが,医学書院発行の雑誌[脳神経外科]に随筆を依頼された先生が “手術に関することを書こうと思うが題名をどうしようか” と私に相談されたことがありました.私は即座に “鷹の眼,獅子の心,貴婦人の手 (Falkenauge, Löwenherz,, ungfrauhand) はどうでしょう” とお答えしました.先生は “それも良いね” とは言われましたが,ありきたりな表題だと考えて却下されたのでありましょう.最終的タイトルは[お茶の精神]となって,お茶のお点前のように淀みなく流れるような手術が理想だという趣旨の随想を書かれました.

Falkenaugeで脳外科医がまず初めに思い描くのは手術用顕微鏡でしょう.この手術機器は用い方を充分習得しないと「木を見て森を見ず,見れども見えず」に導く道具でもあります.我々の若い頃の手術には屡々あった事です.そのような時,桑原先生は必ず “どれどれ,ちょっと見せてごらん” と言いながら助手が使用している側視鏡(当時は長筒のような,まさしく単眼鏡)に入ってこられ,助手の側からヒョイヒョイと片手で顕微鏡を動かして術者に向かって “ほら此処に在るよ.無い処を探しても駄目だよ,在る処を探さないと” が口癖でした.東大で “手術の神様” と呼ばれていた先生は横浜市大に来られてからも勿論ご自身が術者で助手を指導されることもありましたが,どちらかというと指導助手として教えることの方が楽しそうでした.脇から器用に,屡々両手を出して肝心な処を処理し,全て術者が出来たように思わせ,自信をつけさせる−それが先生の手術教育でした.皆さま既にお気付きでしょうが,私が30年近く唱え続けている2&4,3&5 microsurgeryの基となった手術教育法です.

このようにして “桑原流” は極めて自然な形で無理なく我々の組織全体に根付き,当時の我々が誇る伝統となって行ったかのように思われました.しかし何故か,桑原先生の退官後は手のひらを反すように,“草創” のみが正しく,“守成” は全て古き悪しきものと言わんばかりのrhetoricが大学を支配し始めました.私と多くの同志たちはこのrhetoricは権力者が支配欲を覆い隠す仮面にすぎないと激しく批判し続けました.このようにして我々の組織は暗く長い分断の時代へと入ってしまいました.一番辛い思いを味わったのは高い志を持って我々の脳神経外科に入ってきた若く希望に満ちた新人達でしょう. “自分の属する組織が醜く割れている” ことを肌で感じ取った彼等の戸惑いは想像するに余り有ります.

先の見えない不毛の分断を修復すべく,救世主のように現れたのが第4代横浜市立大学脳神経外科教授の山本哲哉先生です.山本先生が教授となられてからの大学と関連施設の協力関係は急速に本来あるべき姿に戻りました.その当然の結果として我々が元々持っていた力を発揮して,初めて他大学に教授を送り出すことも出来ました.山本先生の学術的且つ臨床的実力によるものですが,私がそれ以上に評価したいのは先生が元々備えられている資質です.組織の指導者として要求される強い信念と協調性を兼ね備えておられます.この両資質を両立することは言うは易く,具現化出来ている人は,私を含めて殆どいないと言い切っても過言ではないでしょう.

そのような先生や我々の組織全体に私ごとき頑固な老兵が忠告めいたことを申し上げるのは誠におこがましいことではありますが,時々,思い出して頂くだけで結構です.我々の脳神経外科学講座は本来持っている力を発揮し始めたばかりですが,これからが正念場です.常に周辺の反応を敏感に感じ取り,尚且つ揺るぎない信念を持ち続ける脳神経外科を目指してください.近代ゴルフの創始者Ben Hoganの有名な言葉にalmost correct is not really correctというphraseがあります.とかく妥協の手術を見かけることの多い昨今ですが,完璧主義の手術を機会あるごとにビデオなどで見聞きし,本物とはなにか−我々は手術という極めて原始的で且つ魅力的な手段でどこまで出来るのか−を見極める力を持ってください.言い訳で自分をごまかす事は止めましょう.自分が出来ないことは素直に認め,出来るように努力し,少なくとも,本物を認め,追及する心だけは持ち続けましょう.この心を持ち続けられない人はやがてmotivationを失います.私が手術に向かう時の心構え−これもどこかで言ったと思いますが− “悪魔のように繊細に,天使のように大胆に” を又,繰り返し申し上げて終ります.長々と執拗な文を最後までお読み頂きありがとうございました.

横浜市立大学脳神経外科学講座50周年誠におめでとうございます.

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