脳神経外科学講座の黎明期から初代桑原武夫教授就任期の想い出

千葉 康洋(S39年卒 初代医局長)

50周年記念誌に投稿依頼があったのが2月末,その時点での医局人数を訊ねたところ何と210名と言われ,初代桑原武夫教授をお迎えしたのが第2外科からの流れを汲む12名であったので,50年の記念日を迎える11月には18倍位に増えるであろうと思うと驚きであった.

教室の黎明期は,全国の大学病院でも脳神経外科が講座として独立していたのは主に旧帝国大学系で,その他の大学では外科学教室の中で外傷の治療を中心として始められ,我が大学では第2外科山岸三木雄教授のお考えで山口和郎医師が東京大学第一外科に派遣され,脳神経外科を学ばれて昭和38年に戻られ,第2外科内で脳神経外科の治療が開始されたと伺っております.久間祥多君と私は昭和39 (1964) 年に本学を卒業し,インターン修了後脳神経外科医を志してまず第2外科の大学院に入学し一般外科を学び,研究した後,米国での臨床医としての資格試験 (ECFMG) をすでに取得しており,米国の大学病院に応募し,久間医師はインディアナ州立大学に,私はNew York州立大学Upstate Medical Centerにて臨床医として脳神経外科を含む外科研修を受け,本邦との差を種々学ぶことが出来ました.一方,本学を昭和34 (1959) 年に卒業し,米国で脳神経外科のレジデントを修了した林宏医師が昭和42年に帰国し,第2外科に加わり脳神経外科部門の指導者の一人に加わりました.やがてわが大学に脳神経外科独立の気運の知らせを受けて,久間医師と私は準備のため帰国しました.当時,高度経済成長がもたらした “交通戦争” で頭部外傷が多く,脳卒中のうちまだ脳内出血が多く,横浜市でも脳神経外科部門独立の重要性が認識されましたが,まだ大学紛争のなごりがあり,すぐには講座の独立には至らず,昭和47 (1972) 年6月になり脳神経外科専用の病室(12床)が設けられ,山口医師は第2外科講師,3人の医師(林,久間,千葉)は医務吏員,2人の医師(増田,金医師)は特別職として脳神経外科勤務を命じられ,千葉が医局長として任命されました. 山口講師が責任者となり,将来の医局員の増加を考慮されて可能な限り,多くの患者さんの治療を行うべく近隣の病院からの要請を受けて診療,学生の教育を行い,まだ邦文の脳神経外科学の教科書のない時代でしたので,洋書を購入して朝7時台から学生にも呼び掛けて,集まり輪読会を開き知識の習得に努めました.昭和48 (1973) 年1月脳神経外科が講座として認められて,教授選が行われることになりました.この年英国でCTがEMI scanとして登場した年でした.久間祥多,増田肇両医師が関連病院として厚木市にある神奈川県総合リハビリテーションセンター(以下,リハセンターと略す)に,金一宇医師が西新井病院に相次いで赴任されました.この秋教授選が行われ,桑原武夫医師が初代教授に選出され,同年11月に着任されました.当時12名(山口,林,久間,千葉,増田,金,加行,細田,坪根,朴,稲田,中島医師)の教室員が桑原教授をお迎えし,千葉が引き続き初代医局長を仰せ付かりました.講座が誕生してもベッド数は12床,医局はそのままの小さい部屋でした.CT装置は日本にはなく,1975年に本邦に導入され,そのあとエリザベス女王の訪日,政治的な商法で続々と本邦に装置が輸入され,本学には翌1976年に導入されましたが,教室発足当初の診断法は神経学を基にし,脳シンチ,脳血管撮影が主体であり,手術は山口医師が早くから導入された手術用顕微鏡を用いて血管疾患の外科を行い,桑原教授は主として脳腫瘍の外科を担当され,gliomaの手術の際は5mm径の吸引管を用いて巧みに腫瘍のみを取る手法を伝授して下さいました.教授は静かで温厚で,良く勉強をされ,依頼された総論の学説文はまず私達に調べさせ,連名で業績として名を残して下さいました.その後,学内外から教授を慕い医師が入局し皆,切磋琢磨して診療,教育,研究に努め,教授は着任した翌年に私を講師に任命して下さいました.しかし,皆さんもご存知のように専門医のいない施設に勤務していたのではいつまでも専門医の受験資格がなく,私は先に受験資格を得て,専門医資格を獲得して学外に勤務していた久間医師と交代し,前記リハセンターへ部長として赴任しました.当時,一般病院でも脳神経外科は少なく,医局員の皆さんの協力を得て種々新しい治療,研究成果を世に発表(2002年度 横浜市立大学医学部脳神経外科年報 pp 68-72: 2003)することが出来ました.

このたび50周年記念日を迎え,この間ご指導下さり,今は亡き初代桑原武夫教授,林宏医師,そして,大学病院時代一緒に勤務した金一宇医師,関野典美医師,リハセンターで一緒に勤務した村本真人医師,また,共同研究成果をJNSに発表された石渡裕介医師の皆様にも我々横浜市立大学医学部脳神経外科教室の今日の発展を見て頂きたかったと思っております.

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